全国一の木地轆轤挽き産地 山中漆器

山中漆器について

山中漆器の歴史と特色

手挽きの図

手挽きの図

永禄(1580年)の論旨

永禄(1580年)の論旨

 

山中漆器は安土桃山時代の天正年間(西暦1573-1592)に、越前の国から山伝いに、
加賀市山中温泉の上流約20kmの真砂という集落に諸国山林伐採許可状を持った木地師の集団が移住したことに始まります。
その後、山中温泉の湯治客への土産物として造られるとともに、江戸中頃からは会津、京都、金沢から塗りや蒔絵の技術を導入して
木地とともに茶道具などの塗り物の産地として発展をしてきました。

漆器の生産工程には木地、塗り、蒔絵の工程があり、塗り工程はさらに下地と上塗りにわかれます。
石川県には3つの漆器産地がありますが、それぞれ特徴があり「木地の山中」「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」と称されています。
また漆器木地には椀などの丸物木地を轆轤で挽く挽物木地師、箱物を造る指物師、板物を曲げ加工する曲物師が有りますが、
山中は轆轤挽物木地の分野では、職人さんの質・量とも国内トップの位置にあり、縦木取りをはじめとする山中独自の木地挽物技術には、
薄挽きや加飾挽きなどの他産地の追随を許さぬものがあります。

また伝統的な漆器作りにとどまらず、昭和30年代からはプラスチック(合成樹脂)の素地にウレタン塗装を施した
合成(近代)漆器の生産にいち早く取り組んだ結果、飛躍的に生産額を伸ばし、伝統漆器と併せた生産額では全国一の座にあります。

伝統的工芸品の産地でありながら、異業種・異分野の技術導入に積極的で進取の気性にあふれた産地として発展できたのは、
古くからの温泉地であり松尾芭蕉をはじめとした全国各地からの温泉客による情報流入があったという背景もあります。

こうしたダイナミックな産地の特性を生かして、最近ではPET樹脂による給食食器市場への進出や、
日本の伝統工芸に理解の深いフランスを中心とした海外販路開拓事業、バイオマス樹脂の導入など、
業界の閉塞状況を打開するために様々な試みがなされています。

▲トップへ戻る
石川県指定無形文化財「山中木地挽物」
種  別 無形文化財
名  称 山中木地挽物
種  別 石川県加賀市山中温泉塚谷町イ268番地2
山中木地挽物技術保存会
会長 川北 良造

概要

 「山中木地挽物」は、天正年間(1573〜1592)に、旧山中町(現加賀市)真砂地区において、挽物職人の木地師が、轆轤技術をもって生計を立てていたことが起源といわれている。

 江戸時代中期の正徳5年(1715)には、現在の加賀市山中温泉地区に、木地挽物の技術が伝達されており、文化年間(1824〜1818)には、細かい筋を木地に入れる加飾の技術が創作され、 明治初期から轆轤の改良により、挽物の技術が大きく発展し、「糸目筋」「千筋」「稲穂筋」などの技術が確立されたとされている。

 「山中木地挽物」の作業工程は、木の素材そのものの特色を生かし、木目が縦に入る「縦木取り」、 横に入る「横木取り」の双方を、作品に応じて使い分けるとともに、 原木の切り出し・製材・木取・荒挽き・乾燥・ならし・中挽き・乾燥・ならし・仕上げ挽き・加飾挽き・拭き漆の 確立された入念な工程からなっている。

 木地の表面に鉋を当てて細かい模様を付ける「加飾挽き」は、「糸目筋」をはじめ20種類以上あり、 模様毎に使用する鉋が異なり、挽物職人自らが製作している。これらは「山中木地挽物」の技術における他に類を見ない技法で、 高く評価されている貴重なものである。

 また山中温泉地区は、職人の規模・質及び生産量において、全国の挽物産地の中でも群を抜いている。

 「山中木地挽物」は、芸術上価値が高く、工芸史上重要な地位を占め、かつ地方的特色が顕著な木工芸の技術であり、無形文化財に指定しその保存を図ることが必要である。

▲トップへ戻る